コンテナボックスは欠かせない!
校倉の働きは、乾燥状態を保つというようなもんじゃなくて、外が雨になると、すぐは大丈夫だが、しばらくすると室内の湿度も増してきて、やがて外と一緒になる。
外が晴れても、内には湿気がこもったままだが、しばらくすると、抜けていって内外一緒になる。
この「しばらくすると」が働きなのだ。
外の変化が遅れて内に伝わる。
考えてみれば、あれだけの大きさの建物を隙間無しに造るなんて不可能だし、いくら校倉にしたって、床板もあれば屋根板もある。
屋根板の上には土が敷かれて瓦が載っている。
伝説は伝説に過ぎなかった。
しかし、正倉院の校倉が湿度対策として無意味かというと、そうではない。
外界の湿度変化を遅らせて中に伝える働きはしている。
この能力は、現在、博物館建築関係者の間では注目されている。
日本の絵や漆器や仏像のような植物質の文化財にとって本当にこわいのは、高湿度よりも湿度の急激な変化の方なのだ。
木は湿度が増しはじめると空中の湿気を吸収し、乾きはじめると湿気を放出するというやり方で、変化をゆるやかにしてくれる。
木の量が多ければ多いほどゆるやかになる。
正倉院の校倉造りがすぐれているのは、伸び縮みじゃなくて、校本の太さによる調湿能力なのである。
十数年前の夏休み、家族で田舎に帰っている時、マがさして、″自家用縄文住居を作ろう″と、思い立ってしまった。
子供の頃より石器や土器を作ってきた延長上で、いずれくる道とはかねて知りながら昨日今日とは思わざりしを、思い立ったが吉日で、嫌がる中学生の娘は家に残し、小学生以下の子供三人を連れ一家五人で山に向ったのである。
山の付け根の畑の大きな胡桃の木の下を卜して、四畳分ほどの面積を浅く掘り下げた。
キャンプの経験から、カマドの分を除いてもこのくらいの面積があれば一家の寝食が可能だからだ。
つぎに山に入り、柱用の四本の丸太と梁用の四本を伐り出す作業にかかるが、四畳の家の骨組に必要な太さなんて知れたもので、径十センチ弱の立木を八本伐って完了。
骨組の上に置く垂木とその上に水平に渡す枝は数が多くて面倒だが、雑木の森には下生えとしてヒョロ長い楢や楓がたくさん育っており、四時間ほどで伐り終える。
以上の材はもちろんナタで伐った。
だから四時間ほどで済んだわけだが、これが石器しかない縄文時代ならどのくらいかかっただろうか。
研究によると石の斧は鉄の斧の四分の一の能率というから、もし石で切ったとすると四×四=十六時間になり八時間労働でも二日間あれば家の骨組が入手できる勘定になる。
隣の縄文オヤジに手伝ってもらえば一日で済む。
縄文住居なんて誰でもすぐ作れる。
はずだったが、しかし、建設作業は予想外の伏兵に悩まされ、立ち往生を余儀なくされた。
屋根に何を葺いて雨露を凌ぐか。
子供の頃から簡単な凌ぎ方をいくつも見ている。
秋の稲刈りが終ると冬越の準備に入るが、その一つとして庭先に仮設の作業小屋を作る。
私の家はやらなかったが、年寄りのいる家はたいてい作っていた。
四畳半ほどを画して、浅く一尺ほど掘り下げ、ワラを並べムシロを敷く。
柱は立てず、左右から細身の丸太を立てて上で交叉させて縛り、これを骨組兼垂木として、その上にワラの束を下から順にくくりつけて屋根を葺きあげ、入口にはムシロをつるしておしまい。
キャンプ用縄文住居ともいえる作りで、二日あれば完成し、翌日にはワラなどを持ち込み、冬の純ないやムシロ織りに備えるのである。
もっと簡単なのは、山仕事の人が山奥に作るもので、畳一枚分ほど細い丸太を斜めに並べて立てかけ、その上に白樺や杉の生木の皮をはいで並べ、小枝で押さえるだけ。
おそらく数日の仮の宿で、作っているのを見たわけではないが、五、六時間で仕上がりそうで、竪穴の縄文住居が成立する以前の古い古い住まいの作り方を伝えているにちがいない。
ワラにせよ樹皮にせよ、植物で屋根を葺くなんて簡単だとタカをくくっていた。
茅を切ってきて、しぼりつければいい。
私の田舎は長野娼茅野市というくらいで茅は野にいくらでも生えている。
で、刈り取りにかかった。
茅はポーポーと株立ちしており、その脇に立ち、左手で一握り分を揺り、カマで根元を刈り取る、と書くと簡単だが、バラパラと株立ちする根元の茎を一掘り分にまとめるのが意外に面倒で、ここに時間がかかる。
握って刈って脇置きを繰り返すとやがて一抱え分になる。
それを子供たちが二人一組で運ぶ。
四時間ほども作業して山と積まれた茅を屋根の上に葺いてゆくのだが、下の方を少し葺いただけですぐに茅の山は消えてしまう。
原因は単純で、葺くに当りギユツと圧縮するから、体積は三分の一ほどに減じてしまうのである。
一日かかって刈り取った茅も、四畳ほどの縄文小屋に葺くとわずか十センチに満たない厚みしかなく、中に入ると青空が透けて見える。
疲れはて、そこでうち止め、一夜を過ごしたが、幸に雨は降らず、露は凌げた。
しかしすき間だらけだから、蚊の襲撃は防げず、一晩中、時々起きては炉に生木をくべていぶし続けるしかなかった。
火が絶えるとワッと入ってくる。
雨を凌ぐには厚さを三十センチ以上にはしないといけないが、もっと大きい本当の縄文住居を葺くとしたら何日も何日も茅刈りに時間を取られることだろう。
それも、鉄のカマがない時代なのだ。
石の刃で茅が刈り取れるかどうか心配だが、もし可能としても何倍も時間がかかるはずだから家一軒分に数週間かかったにちがいない。
量をなめてはいけない。
木を伐ったり、穴をあけたりすることにくらべ、茅を刈ってきて葺くという技術は質が低く誰にでも出来るが、量が柱や梁とはくらべものにならない。
茅は小山のように、人出は祭りのごとく必要になる。
その昔、日本の村々では、家の建設に当り茅葺きだけは扱いが別だった。
木を刻んだり壁を塗ったりは、新築する家の当主が今日と同じように大工や左官を雇って賃金を払った。
しかし茅葺きだけは、村の茅山で何十年もかけて刈り集め、必要量がたまったところで、村人が総出で葺きあげる。
縄文人たちは木を伐るのも組み立てるのも家造りのすべての作業を共同で行なっていたと思われるが、少し前まで田舎で日常的に行なわれていた村人総出の茅葺きは、そんな縄文時代から唯一つ生き残った家造りの伝統にちがいない。
日本の民家の茅葺き屋根が、五千年前の縄文時代と本当に連続しているかどうかは証明岬のしょうもないが、現在、茅葺き屋根の残存率が日本一で知られる京都府北桑田郡美山町を訪れると、その急傾斜な入母屋造りの姿といいたたずまいといい、縄文住居の屋根を地上に持ちあげただけのものであることを誰でも納得するだろう。
茅葺き屋根というのは、姿形や技術はむろん、村人が集って共同で作業するという作り方の点でも、縄文時代から延々と続いているにちがいないのである。
茅葺きの民家が山間に群れる棟を見て、キノコのようだ、と述べた建築家がいたが、本当にその通りだと思う。
しかし、注意してほしいのは、キノコという菌類の見た目に映る特性で、他の草花とはちがい、形が自己完結していて成長や増殖を感じさせないし、たての支柱と水平の笠という力学的構造が露出して、そうとうに人工的で建築的だ。
菌類の世界でいちばん建築的なキノコと建築の中でいちばん自然に近い(草を重ねただけという意味で)茅葺きが似ているのは当然なのかもしれない。
茅葺き屋根は、自然と人工の境界線の人工側ギリギリに自然側のキノコと肩を接して立ち、歴史の上でも日本人が最も自然に近かった時代のあり方をとどめている。
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